北陸街道テクテク歩き第四日目(小松宿から金津宿)


 5月24日も快晴、本日の計画は、JR小松駅からJR加賀温泉駅まで電車移動、その後、大聖寺宿、細呂木宿を経て金津宿(あわら温泉駅)までの24kmを歩行する計画でしたが、大聖寺宿を過ぎ細呂木宿を目指す際、10kmの方向違い(片道5km)をしていることに気が付き、タクシーを使用して加賀・越前国境を越え、JR細呂木駅まで行く結果となり、そのため、JRあわら温泉駅までは電車利用となりました。ホテル到着までは33,000歩、約23kmを歩行していました。残念なのは、方向違いしたばかりに「御国境名号の碑」「細呂木関所跡の碑」「一里塚跡名号碑」等の旧跡をを見ることが出来なかった事です。

 これまで、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道を相棒のK氏と共に歩行しましたが、これほどの間違いをしたことは無く、分岐点の確認が
如何に大事かを更に学習した次第です。
 
 あわら温泉の宿泊ホテルには、3個の大浴場があり、温泉三昧を楽しみました。このため、失敗した心の疲れも幾らか癒えたようです。
 
 明日は、いよいよ最終日、「東尋坊」及び「福井の街」の観光日となりました。


      本日の歩き行程と到着時間

  JR小松駅⇒JR加賀温泉駅(9:50)⇒敷地一里塚(10:34)⇒菅生石部神社(10:47)⇒富樫の馬塚(10:48)⇒大聖寺宿到着(11:00)⇒休憩⇒

  中町信号(12:08)⇒大聖寺藩関所跡(12:13)⇒三木信号・分岐間違い箇所(13:46)⇒竹の浦館・間違い判明箇所(14:07)⇒加賀越前国境(14:38)

  JR細呂木駅(14:57)・・・・・・・⇒あわら温泉ホテル着(16:00)


  JR加賀温泉駅
    白山の冠雪した姿は素晴らしかった。大聖寺宿まで左側に見え、飽きることはありませんでした。

  
●敷地一里塚
    徳川家康は秀忠に江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かせ全国に普及させた。
    加賀国の場合、北陸街道南端の橘茶屋から北端の倶利加羅峠まで一八里(七四キロメートル)で、その間一八ケ所に一里塚があった。その一つである。
    
  
菅生石部神社
    加賀国では一ノ宮である白山比盗_社に次ぐ二ノ宮の格式(越前国では三ノ宮)を得て広く信仰されるようになり、境内を含む福田の庄が京都の北野天満宮領に    なったことから天神信仰との結びつきが強まりました。歴代領主や為政者からも崇敬され木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉、前田利家、山口玄蕃、富樫昌家などか    ら社領の寄進や社殿の営繕などが行われています。江戸時代に入ると歴代大聖寺藩主前田家や本藩である加賀藩主前田家から崇敬され(前田家の遠祖は菅     原道真だった為、特に天神信仰には厚く保護されました。)、随時社殿の改修、造営が行われ、多くの寄進や奉納が行われています。菅生石部神社は明治29年    には国弊小社に列しています。

  富樫の馬塚
   足利時代、遠征帰りの富樫三郎成衡は吹雪によって遭難したが、どこからか餅をくわえて来た愛馬により、飢えをしのぎ一命を取り留めた。
   しかし翌日、当地に来ると馬は一歩も進まなくなったので、腹を立てて切り殺したが、なぜ動かなくなったのか調べてみると、近くの藁屋の主人が馬にかみ殺され、    そこには餅が散乱していた。成衡は、馬は主人を助けるためとはいえ、人を殺したことに罪を感じて動かなくなったと悟り、塚を築き馬を供養したという。

   
  大聖寺宿
   大聖寺に架かる敷地天神橋を渡ると、大聖寺前田氏10万石の城下町、宿場で栄えた大聖寺に入ります。ここは加賀藩の分家で、加賀三代藩主の三男
   利治が大聖寺藩7万石の藩主となり、後に10万石となった。

  
  ●大聖寺藩関所跡
   北陸街道は、大聖寺の町の中を幾つも折れ曲がり、国道305号線に出て県道141号に折れ曲がるが、この付近に加賀藩が境の関所とともに重要視していた
   大聖寺の関所があった。


  ●三木信号・(分岐間違い箇所)と原因
   既に旧道から外れており、旧道沿いで細呂木宿へ行くための最後のポイントである、三木信号で左折し305号線に乗るべきところを、私が橋を渡り直進した
   事で、方向違いをしてしまった。相棒のK氏が丁度歩いていた、土地のウオーカーに確認したところ、いい加減なOKとの返事をされた事、これを信じた事も方向違    いの大きな原因でした。
    行けども、次の目標地点のに着かない。丁度、廃校を利用した竹の浦館(小さなスーパー)があり、ここで尋ねると大きく方向違いをしている事が解りましたが
   5km戻るには不可能と判断し、タクシーは呼べるとの事でこれに乗り軌道修正を行おうとしましたが、運転手さんも旧道の知識が無く、結局、JR細呂木駅へ来てし   まった訳です。これで本日の旧道歩きは終了との事となりました。本日は、何とも情けない街道歩きとなった次第です。

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