北陸街道テクテク歩き第五日目金津宿=あわら温泉から北庄宿=福井)

5月25日は北陸街道旅の最終日でした。芦原温泉駅前からバスで「東尋坊」へ向います。約25分で到着。朝、早いせいか、観光客の姿がマバラでした。素晴らしい快晴の下、眼前に広がるコバルトブルー色をした日本海が飛びこんで来ました。素晴らしいの一言です。少々高所恐怖症の気があるため恐る恐る断崖の下を覗きます。岩に這いつくばってシャッターを押しました。その後、バスで三国港へ移動し、そこから越前鉄道で福井へ向いました。まずは、北の庄城址・柴田神社の見物です。資料館で説明を受けましたが、お市の方が北の庄城に来て、その後半年で城が陥落したとの話を聞き哀れさを感じました。続いて、結城秀康の居城であった福井城城址を通り抜け、博物館及び養浩館庭園を見物しました。この庭園は数寄屋風建築や回遊式林泉を備える江戸時代中期を代表する名園であるそうです。京都に立ち寄り自宅に23時頃帰りつきました。延べ約10日間に渡る北陸街道の旅を無事に終了出来ました。次回は福井から京都を目指す予定です



 ●東尋坊
  
時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪力の悪僧。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合っ  たとされる。ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とした。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそう な。毎年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたとか。

 この岩壁が「東尋坊」と呼ばれることになった由縁に、こんなにもはかなく切ない無骨な男の悲恋物語があったという逸話を、福井県民も以外と知らないはず。

 絶景に心打たれ、海面を遊覧船で滑り、美味しい海の幸に舌鼓を打ち、買物に興じる、そんな自由で平和な現代人の姿を、いにしえ人東尋坊は「俺もこの時代に生ま れていれば・・・・」と、きっとボヤいていることでしょう。          (三国観光協会のページより拝借しました)

                  
  PHOTO&MAP  ←東尋坊の場所が解ります。      PDF-PHOTO ←任意サイズの写真が見れます。


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福井観光

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     MOVIE    ←スライドショーが見れます(東尋坊含む)



   ●北庄城跡
     
織田信長に越前支配を任された柴田勝家が築いた北庄城(きたのしょうじょう)はわずか1代8年で焼失。関ヶ原の戦い後、結城秀康(家康次男・北庄     藩の藩祖)が越前に入封。旧城を改修し、新たな北庄城を築く。第3代藩主松平忠昌は城名を福居城(のち福井城)と改名。
  

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   ●名勝養浩館庭園
     この庭園は、数寄屋風建築や回遊式泉庭園をそなえる江戸時代中期を代表する名園の一つです。かつては、福井藩主松平家の別邸で、
    江戸時代には、「御泉水屋敷」と称されていたようです。
    
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旅の終わりに

   5/16から始まりました「北陸街道」の旅も、本日5/25、無事に終えることが出来ました。この旅のきっかけ作ってくれた、13回生:関東・関西組
   の同窓生並びに一緒に歩きましたK氏、旅を支えてくれた家族に感謝いたします。




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