萩城址、武家屋敷、城下町散策
萩城址と堀内地区(三の丸:上級武家屋敷)
●萩城は慶長9年(1604)、毛利輝元公(元就の孫)が指月山山麓に築城したことから別名
指月城とも呼ばれています。山麓の平城と山頂の山城を併せた平山城で、本丸、二の丸、
三の丸、詰丸からなっています。明治7年、天守閣などのすべての建物は解体されました。
萩城の天守は5重5階の望楼型天守で高さは21mでした。姫路31.5m、松本25mより小型
ですが彦根15.5m、犬山18mよりも高い。
1.天樹院
●五輪塔の墓が並ぶ毛利輝元公の墓所
2.旧福原家萩屋敷門
●萩藩永代家老・福原家(11314石)
3.口羽家住宅
●永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽(くちば)家の住宅です。萩城下に残る上級武士の屋敷としては古いものです。
主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。
(家老:椋無家の屋敷シーンとして使用された?)
4.堀内鍵曲(かいまがり)
●鍵曲(かいまがり)は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
(文が伊之助がおとした本を届けに行くシーンや、松陰との帰りの道のシーン等で使われた場所です。)
5.問田増田氏旧宅土塀(北門屋敷右折)
●延長231.7mの堂堂たる土塀は市内に現存する土塀の中で最長。大組藩し間田増田氏(4096石)
6.旧増田家物見矢倉(増田家家老長屋)
●北の総門の見張り台も兼ねた武器を収納した矢倉です。
7.北の総門
●高さ7メートル、日本最大級の高麗門です。
城下から三の丸(堀内地区)に入るため設けられた総門の一つであり、他に中の総門、平安古の総門がありました。
かつては門番が常駐して人の出入りを監視しており、門は暮れ六つ(酉の刻)から明け六つ(卯の刻)まで、閉じられ、
鑑札を持った者以外の通行を禁止していました。
8.菊屋家住宅
●藩の御用商人を務めていた豪商:菊屋家。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し400年
の歴史があるそうです。