5月22日、金沢を目指し津幡宿を9時に出発。約30、000歩の旅を満喫しました。1、江戸時代にタイムスリップしたような千本格子の東茶屋街2、活況の近江町市場3、前田利家、お松を祀る尾山神社4、兼六園5、堅牢広大な石垣を有する金沢城跡6、犀川からの大野用水に囲まれた武家屋敷等豪華絢爛な加賀文化を再度見て酔いしれました。前回は観光バスによるスポット観光でした。面で捉えた今回の旅は、まさに歩き旅の醍醐味を味わったと思いました。
なお、距離、時間の関係及び行程に遺構が少ない事もあり、JR津幡駅からJR森本駅までは電車で移動、森本駅からテクテク歩きを開始しました。それでも30000歩
約21KMを歩いたことになります。
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1、JR津幡駅から金沢市街(ひがし茶屋街)まで
●大樋松門
江戸時代における、金沢の街の北の入口
2.東山:ひがし茶屋街
●作田金銀箔(株)
東山の一角に、金銀箔工芸屋さんの作田金銀箔(株)がありました。ここで金箔の製造工程を詳しく説明して頂きました。金箔入りお茶のもてなしまで
受けました。さすがは、金箔生産約90%を誇る金沢でした。
●ひがし茶屋街
金沢百万石の城下町の風情を現在最もとどめている街の1つです。金沢市には三箇所の茶屋街があり東茶屋街の他に、にし茶屋街、主計町茶屋街が
あります。そのうちでも最大規模で、現在でも8軒が営業しており、芸子、芸者さんが20名程入るそうです。茶屋様式と言われる建物が軒を連ね「志摩」
「懐華楼」は江戸時代当時を伝えており、文化財に指定されています。なお、重要伝統的建造物保存地区に指定されている中の3分の2が明初期までに
建てられたそうです。
3.浅野大橋から近江町市場へ
「浅野大橋」を渡り、「金沢文芸館」の前で右折し、「近江町市場」へ向かう。途中、「石川県里程元標」があった。「博労町信号」を過ぎ、左折すると
賑やかな、活気ある「近江町市場」があった。ここで「海鮮丼」を頂いた。凄く美味でありました。又、ほたるイカの沖漬け、塩辛、青のりを試食すると
これらも又美味であり、「クール宅急便」で自宅へ送りました。
始まりは1721年。以来、約290年、金沢の食文化を支える「市民の台所」として親しまれています。平成21年4月に「近江町いちば館」が誕生。
日曜営業も始まり、新たな賑わいを見せているようです。
4.尾山神社から兼六園へ
●尾山神社
明治6年に創建された加賀藩祖前田利家公と正室のお松の方を祀る神社。明治8年に建てられた神門は、和漢洋折衷のる層式で明治初期に建てられたい擬洋 数少な風建築遺構の1つであり、現在は国の重要文化財に指定されています。3層目には、ギヤマンがはめ込まれており、夕日に映え、また22時までの点灯は
見ごたえがあるそうです。
●兼六園
ご存じ兼六園は、は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つです。霞ヶ池や鶺鴒島 、根上松、瓢池、翠滝、黄門橋など四季それぞれの見所があ り石川県金沢市の観光の
目玉のひとつと言えます。特に、「ことじ灯籠と虹橋」の写真は良く見かけます。
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5.金沢城公園
金沢城は、1546年に本願寺が金沢御堂を創建したことに始まり、その後織田信長の命を受けた佐久盛政が金沢御堂を制圧入場し尾山城としました。
1583年に前田利家が入城し、明治2年まで加賀藩前田家14代の居城として金沢城が置かれました。その後、陸軍の拠点、金沢大学キャンパスとして利用
されましたが、平成8年に年に金沢城公園として、一般開放されるようになりました。度重なる火災により消失した金沢城は、平成13年に「菱櫓」「五十間長屋」
「橋爪門続櫓」等忠実に復元されているようです。壮大な石垣群から見ても難攻不落のお城であったようです。
6.片町商店街〜武家屋敷跡〜金沢駅
「金沢城公園」を出て、石川県下きっての繁華街である「片町商店街」、その奥にある「犀川大橋」を見物し、「長町武家屋敷跡」へ行きました。犀川大橋上
からは冠雪している「白山」を見ることが出来ました。「大野川用水」に囲まれた武家屋敷跡は美しく、江戸時代にタイムスリップしたような感じを覚えました。
その後、金沢駅付近にあるホテルまで30分程歩き、16:20に到着しました。万歩計は30、000歩(約21KM)を指していました。
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