甲州街道紀行


9月19日から9月29日の11日間で、「下諏訪宿」から「日本橋」まで、東海道、中山道で一緒に歩行したK氏と旅をいたしました。上諏訪から甲府までは、右側には甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳、北岳等の「南アルプスの峰々」、左側には蓼科山、八ケ岳連峰を望みながらの歩行となる予定でしたが、二日目から台風15号の影響を受け豪雨となり、茅野駅から韮崎まではJRに頼らざるを得無くなりました。台風一過の22日に韮崎より小渕沢にJRでバックし計画外の清里、八ケ岳を楽しみました。
 5日目の石和宿-鶴瀬宿から計画通りの歩行となり、29日に無事日本橋へ到着しました。これまで、五街道の内、
東海道、中山道、甲州街道を歩行いたしましたので、次回は「日光街道」へと夢が膨らんでいきます。

<甲州街道概略図>

   

2011年9月19日
1日目:下諏訪宿から上諏訪宿
 我々二人の旅の「壮行会」をと、京都在住の美女二人が(高校同窓生)急遽、一日目の参加となり、賑やかな気分となりました。集合場所は(新大阪発:塩尻行き)特急しなの号です。私は名古屋駅から乗車するまで、時間の余裕がありましたので途中下車で名古屋駅周辺を散策し、ツインビルの名古屋セントラルタワーを初めて見る機会を得ました。11時に乗車、新大阪、京都駅で乗車した仲間と合流。対話しているうちにアット言う間に塩尻駅に到着、乗り替えで下諏訪駅に着きました。まずは腹ごしらえとソバ屋に入り、「ザルソバ」を頂きました。流石本場の「ザルソバ」は美味でありました。
 さて、いよいよ下諏訪宿の見学後、上諏訪宿を目指します。まずは、甲州街道の起点(中山道との合流点)である、「下諏訪宿:問屋場跡、番屋跡、本陣跡」等を見学し、諏訪大社下社秋宮を訪れ旅の安全祈願をいたしました。いつ見ても、太くて高い御柱には驚かされます。

 参拝後、旧街道を歩行、狭い路を歩行して往く中で、「一里塚」「大権現の碑」等の旧跡を見つけ、江戸時代の感覚に浸りました。
 折角ですので、諏訪湖を見たいとの思いがあり、「湖岸通り」経由で上諏訪宿を目指す事にしました。穏やかな湖の傍の遊歩道は素晴らしく、まさにウォーキングするには最適な場所であると感じました。「間欠泉センター」で間欠泉を見学し、緑豊かな「湖畔公園」を散策し、ホテルヘ到着。一風呂浴びての壮行会を受けました。感謝感謝の初日でした。
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2011年9月20日
2日目:上諏訪宿から茅野駅へ(本来は、上諏訪宿から蔦木宿へ)
 台風15号の影響で、小雨が降っていました。まあ何とかなるだろうの気分で、ホテルを出発。清里へ行く美女二人を上諏訪駅まで送り、完全武装で25km先「蔦木宿」を目指し歩きだす。酒造が建ち並ぶしっとりとした上諏訪宿を横目に見て耽々と歩きます。上諏訪宿の外れに諏訪大社:上社への鳥居が雨に煙って見えます。その先は全く見えません。
 この頃から、土砂降り模様になって来ました。旧道が国道20号線と重なっていると同時に、道路幅が狭く、背後からスピードを上げて走り来る大型車に怯えながらのつらい歩行になりました。遺跡等注意し見ているのですが、なかなか目に入りません。
 又、本来なら、右手に期待した南アルプスの嶺嶺が見える筈なのですが、ガスって全く見ることが出来ません。
茅野駅ヘの標識が見えた所で、雨具からも浸透してくる雨水に耐えかねると同時に、雨で何も見えない事から、意味ないと、その後の歩行を断念し、茅野駅から宿泊予定地の韮崎へJRで向かいました。
 清里組に電話で状況を聞くと、清里駅前で視界0に近く、早々、木曽の奈良井宿へ戻るとの話でありました。
茅野駅で電車待ちの折り、縄文式土器が飾ってあり、茅野市には国特別史跡「尖石遺跡」があり、縄文式土器の里である事を、後ほど知りました。
 とにかく、清里組と同様、本日はつらい一日となりました。明日は、台風15号の最接近日のようです。

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2011年9月21日
3日目:甲府、善光寺へ(本来は蔦木宿から韮崎宿へ)
 昨日からの雨で「街道歩き」の出鼻を砕かれたうえ、15号台風の最接近日で厳重警戒の予報が出ています。(韮崎の)ホテルでじっとしている事が出来ない性分で悩んだ末、公共交通機関を利用し、旅の安全祈願のためにも、甲府の善光寺参りを決心しました。風雨の強い中、JR韮崎駅からJR甲府駅バスを利用し何とか善光寺へ着くことが出来ました。
 武田信玄が建立した古刹です。川中島の戦火で焼失を避けるため本尊ほか諸仏を長野から移設し、「善光寺」と称したようです。現存する本尊、山門、本堂とも国の重要文化財に指定されているようです。由緒ある古刹でした。帰りは甲府まで、JRでと思いましたが、身延線は運行停止状況になっており、バスで甲府駅に戻りました。
 駅に着くと、やたら「とりモツ煮の、のぼりが」目立ちます。甲府ならではだなと思い、B級グルメ大会で優勝したとりモツ煮の元祖と言われる店で頂きました。醤油味のとりモツ煮はガキの頃から食べ慣れていましたが、独特の匂いがとれ実に美味しい。相まって、美人の店主が言うには、サッカーの「中田英寿」が時々来るとの事で、そうだ、彼の出身は韮崎高だったなと思い出しました。こんな話題で、甲府、韮崎、長崎の話で盛り上がりました。
 満足し、韮崎へ戻ろうとしたところ、JR中央線も運行停止状況となり、慌てました。何とかバスで戻ることが出来ました。明日は、台風一過の素晴らしい天気の下、甲斐路の旅が出来そうです。

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2011年9月22日
4日目:韮崎宿⇒清里⇒石和宿(本来は徒歩で韮崎宿から石和宿)
 台風一過、素晴らしい快晴である。ホテルの玄関から南アルプス甘利山1731mが見える。ここ2日間、雨に痛めつけられた暗い気持ちの払拭が出来そうだ。終着点は石和宿。本日はJRを使いバックし、南アルプス、八ケ岳、清里の観光デーとしたら?とK君に相談した処、良い考えだと即OK。韮崎駅のプラットホームから、冨士山、茅ケ岳、八ケ岳が望める。
 清里は社内旅行で来たのが初めてで、その時、雪を冠った八ケ岳に感動し、その後、家族を連れて来た事もあり、今日は3回目の訪問となりました。当時はバブルの時代でもあり、ペンションブームで町には人が溢れていたような気がいたします。昨日は台風、本日は平日のせいか、信じられない程人の姿がもまばらでした。
 ピクニックバスで主峰赤岳2900mの麓へ往きましたが、6合目位からガスがかかり、全貌を見せてくれません。正面の秩父山系、右翼の甲斐駒ケ岳2967mも同様です。さすがに山の厳しさを思い知らされました
 前日の台風の影響で内海線の線路補修で、小淵沢行きの列車が遅れ2時間程、待たされました。小渕沢駅
から見ようと思った甲斐駒ケ岳は前方にガスがかかり、全貌を見る事はせきませんでしたが、そのスケールの大きさは 、はっきりと確認出来たと思います。
 こういった事もあり、明日から同行する同窓生の待つ石和宿のホテルには6時30分位の到着となりました。

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2011年9月23日
5日目:石和宿から鶴瀬宿
 本日は、東京から同窓生のケンちゃんが加わり、3人での珍道中が始まります。残念ながら雨、雨具を着ての出発です。石和宿は武田信虎(信玄の父)が躑躅ケ崎に本拠を築くまでは、ここが本拠地であり、甲斐国の政治の中心地であったそうです。本陣跡、遠妙寺を見ながら、笛吹川通りに出て耽々と歩きます。途中、笛吹権三郎の像がありました。笛吹橋 を渡り、川と並行の道を歩くと、桃園、ブドウ園が眼に着きます。1時間程の所にブドウ園があり、休憩しながらブドウを頂きました。さすがに本場もので美味でした。そこの女性主人がこの先に願い事を適えてくれる白山神社があるので寄りなさいとの話があり、そこに立ち寄り夫々、願い事をいたしました。
 日川橋を渡ると、栗原宿です。大宮五所大神が眼につきましたので、入って見ました。大きな老松があり、市の天然記念物でウロコの大きさ等素晴らしいものでした。丁度昼食時となり近くの瀟洒な料理屋に入りました。
甲州名物「サラほうとう」を勧められ、頂きますと格別な味で空腹を満たしてくれました。
 それからは、ブドウ園及びワイナリーの連続で、流石はブドウの里、勝沼であるなと再認識させられました。勝沼宿の中心地に明治時代に山梨田中銀行社屋として使われたモダンな洋風建築が国登録文化財として公開されており見学いたしました。又、3回建の倉等が見られかなり裕福な土地柄に見えました。(ブドウによる財力?)
 勝沼宿を離れ坂道を登って行きますと、左手に「柏尾の古戦場」がありました。近藤勇率いる甲陽鎮撫隊板垣退助率いる官軍が衝突した場所です。
 近くに、大善寺がありました。武田勝頼が落ち延びる途中、1泊した寺であるそうです。また僧行基が修行満願の日の夢の中に、ブドウを持った薬師如来が現れたことから、甲州ブドウ発祥の寺とされる。又、本堂(薬師堂)国宝であるそうです。
 それから約1時間程ダラダラとした坂となり、途中、長垣の吊り橋を見学し、しばらくすると、鶴瀬宿に到着しました。JR甲斐大和駅から宿泊先の石和宿に戻り、本日の歩行計画達成を祝い、3人で祝杯を上げました。明日はいよいよ、最大の難所と言われる笹子峠越えです。

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2011年9月24日
6日目:駒飼宿から猿橋宿
 いよいよ、笹子峠越えの日がやって来ました。天気は快晴、宿泊先の石和温泉駅から甲斐大和駅へ電車で移動。歩行開始です。まず、駒飼宿を目指します。駒飼宿は鶴瀬宿と合宿で1.4kmの至近距離にあります。又、歴史的には武田滅亡の谷であるそうです。(勝頼親子が笹子峠を越し、駒飼の山中にひきこもった事を知った織田軍は一行を取り囲み、逃れがたいことを知った勝頼主従は秩父の天目山麓で自害して果てたとの事です)駒飼宿に到着。県道212号線は、道路の崩落で通行禁止となっていました。
 一旦、笹子川沿いの自然道に入りかけましたが、。自然道はもっと酷いだろうと判断し、212号線を歩行する事にしました。通行禁止の柵を乗り越えて歩行して行きます。ありました、一車線分完全に崩落しています。復旧
には相当の時間がかかると思われました。自然道も通行禁止の箇所がありました。約3時間かかり、峠への到着です。思った以上に、難なく着けたと思いました。昼食に持参した「おにぎり」の美味しかった事。
、暗くて長い、やや薄気味悪い笹子隧道を通過すると、下りとなります。崩落個所を避けながら、30分程下ると、「矢立ての杉」がありました。この地は風林火山のふる里で、出陣に出る武士たちが、この杉に矢を射立て必勝を祈願したと伝えられているそうです。下りは登りに比し道路の痛みが少ないせいか歩行スピードが上がります。 人形芝居が伝存していると言われる追分を通り、黒野田宿を見ながら、2時間程でJR笹子駅に着きました。 しかしながら、猿橋まで行くとなれば、歩行に費やす時間がかなり不足する事が解り、大月まで電車で移動しました。大月駅前で一服し、20号線を歩行しますと左手に大きな山が見えてきました。「岩殿山」です。戦国期の山城、岩殿城として知られているようです。(織田・徳川連合軍に追われた勝頼が落ちのびようとした城でした。その時、勝頼 は、群内を領した小山田氏に阻まれたようです)
 その後、第五甲州街道踏切を渡り、旧道に入りますと、東電:駒橋発電所がありました。又、山を背景にとした桂川の素晴らしい景観を望む事が出来ました。阿弥陀寺、三島大明神の前を通り、宮下橋南詰信号から左に入り、桂川沿いを歩行して行きますと、「猿橋」に到着しました。
 猿橋は、冨士山の溶岩流が長い年月をかけて侵食された深い谷にかけられた橋で、橋脚が立てられないため
両岸から刎木を四段に長く重ね、最上部の刎木の上に橋桁を渡して連絡した橋である。岩国の
錦帯橋、木曽の
桟橋とともに日本の三奇橋と呼ばれています。猿がお互いに体を支えあって橋を作ったとの言い伝えがあり、国の名勝に指定されています。
 
本日の行程を無事に終え、宿泊先のあるJR上野原駅へ向かいました。

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2011年9月25日
七日目:猿橋宿から上野原宿
 本日の最大の目標は、犬目峠から、葛飾北斎の絵で見られるような冨士山を見る事です。ホテルでの天気は良かったので期待が持てそうです。昔の街道筋の面影を残す鳥沢宿を見て歩きます。左手に本陣跡(明治天皇駐蹕地碑)がありました。
 右手に「古久屋生花店」を見て左折します。犬目峠の入口です。急勾配で、中野地区をほぼ直線的に上って行きます。昨夜のお酒が多少残っているのか?猛烈にきついです。さもありなん、良く調べると、頂上に近い山谷地区とは200mの高低差がありました。東海道:小夜の中山峠クラスのA級峠越えであったようです。この辺りに「冨士絶景ポイント」がある筈のですが、冨士山方向は雲がかかっています。残念ながら諦めが先行します。

 恋塚一里塚がありました。宝勝寺の前を回り込みますと、「犬目宿」に着きました。甲州一揆の頭領となった犬目兵助の生地です。逃亡し、最後は帰郷しひっそりと晩年をおくったと、パネルに記されていました。偶然にも、兵助のお墓の上方の山で、冨士山を見ることが出来ました。北斎バリではありませんが、その姿を見る事が出来、感激いたしました。その場所を教えて頂いた古木画の師(中村氏)に感謝した次第です。この旅で冨士山を見たのは、今回と、韮崎での二回目にすぎず、感謝のいたりでした。心も落ち着き、中央高速道(下り)の談合坂SAを見下ろす所で、持参したおにぎりで昼食をとりました。
 休憩後、しばらくして矢坪坂古戦場跡のパネルに出会いました。
北条氏規と武田信玄配下の小山田信茂が戦った⇒この時は北条の勝と記されていたようです。)その後、左手に甲州霊場の第7番札所の西光寺があり、その前には、お玉ケ井の碑がありました。(その昔、旅籠「恵比寿屋」で働く美しい女中「お玉」にまつわる恋物語で、念願の恋が実ったお礼にと、水不足に悩む野田尻の一角に、澄んだ水をコンコンと湧き出させたと言われています。このお玉の正体は、「竜」で長峰の池の主「竜神」と結ばれたと言われています。)野田尻宿に着いたようです。明治19年の大火で宿場の殆どが焼失し、往時の面影は残ってないとの事でありましたが、しっとりとした街並みは、残っているように思えました。
 しばらくは、高速道路とお友達となりましたが、再び旧道に戻り、街道歩きの気分に戻りました。大椚吾妻神社の前では、東京から来たというサイクリストの集団と出会い、歩きと自転車の件でお互いに驚き合い談話を交わしました。大椚一里塚を越えると直ぐに鶴川宿に到着しました。丘を登ると直ぐに上野原宿です。ホテル到着後、上野原本陣跡を探して 近くを散策いたしましたが、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
 明日は、いよいよ、一旦、相模の国を通過し、小仏峠を越え東京都入りとなります。

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2011年9月26日
八日目:上野原宿から駒木野宿
 本日、曇り、難所小仏峠越えなので、雨が降ったら?と気にかかります。上野原宿を出て、30分位で相模の国、関野宿に入りました。東京までは、あと70kmの地点のようです。旧道と20号線が重なっており、整備が悪く、かつ、狭い歩道を耽々と歩きます。
 藤野駅を過ぎた頃に、相模川が見えるようになりました。曇のせいか?水もやや緑色をしていて、綺麗には見えません一級河川で上流の山梨県では、(源流:笹子川)桂川と呼ばれていました。その後、吉野宿に着きました。本陣跡を過ぎて直ぐに対岸へ渡る勝頼橋があり、ここから下流が相模湖となっているようです。
 ここから、与瀬宿に出るまで、歩道がなく大型トラックの煤煙を浴びながらの危険な歩行でした。与瀬神社の付近に旧道があり、線路沿いに歩行すると、JR相模湖駅に着きました。観光案内所で小仏峠越えのルート確認をしましたが、明快な答えは帰らず、手持ちの地図ルートによるしかないと判断いたしました。近くに、相模ダムの標識を見つけましたので、立ち寄ることにしました。15号台風の影響か?ダム廻りには泥土が流れ込んでおり、異様な姿をしていました。早々に引き揚げを開始したところ、心配した本降りの雨となりました。

 30分程歩行し、小原宿に着きました。昔の宿場の面影を残した綺麗な町でした。本陣跡の保存状況も良く、「小原の郷」という施設も整備されており、近近、本陣祭り(大名行列)があるらしく、町全体にのぼりが立てられていました。小原の郷で、おにぎりの昼食&休憩をとりました。
 再出発後10分程で、小仏峠の入口である「底沢バス停」に着き、峠越え開始です。小仏峠まで3.5km標識があり、 目の前は山なので、厳しい峠越えになると想定されました。小仏峠1.8kmの所で急勾配の自然道となり、ゴロタ石、木切れ等が堆積しており、歩きづらい局面となりました。かつ、先の台風の仕業か?数箇所、倒木の為、道が消えている箇所もあり、 難儀の連続でした。個人的に、高地では、酸素吸収力が弱い体質ですので10数回の小休止をとり、やっとの思いで峠に たどり着いた次第です。1.8kmの所を1時間強の時間を費やしたようです。
 これまでの、笹子峠、犬目峠以上の難所でありました。
 下山道は全く楽でした。峠から高尾までは約8kmありますが、それだけ勾配が小さく、楽に歩けました。
1時間強の歩行で、駒木野宿に到着。小仏関跡を見物。やっと、東京に入ったのだ、との気が湧いてきました。


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2011年9月27日
九日目:駒木野宿から府中宿
 武蔵野国に入って二日目、駒木野宿(高尾)から府中宿を目指します。天気は快晴、放射冷却で少々冷え込んでいるようです。この分であれば、途中何処かで(こだわりの)冨士山を観る事が出来るのでは?との期待感を持ってのスタートです。八王子市天然記念物となっている素晴らしい銀杏並木を歩行します。千人町を過ぎ、しばらくして追分道標に出会いました。左:あんげ道(陣馬街道)との分岐点ようです。直ぐ近くに千人同心屋敷跡
がありました。(千人同心とは甲信に対する江戸の国境警備のために、家康が甲斐武田氏の遺臣を甲州街道沿いに配した武士集団で、身分は武士だが任務のない時には農耕を行う半農半士の生活をしていたそうです。)
 昔、八王子は甲州街道一、二を争う大きな宿場と言われたものの、今ではその面影が薄くなっている八幡町八日町、横山町と言った往時賑わった宿前を通過いたしました。一里塚跡を見学、浅川を渡り日野へ向かいます。高倉稲荷神社を過ぎた所で日野市に入ったようです。
 コニカミノルタ、日野自動車工業の前を通り、日野駅前に到着。昼食&休憩をとりました。日野駅付近は、日野宿そのもので、日野宿本陣跡、問屋場跡等が立派に整備されて残っていました。日野は、「新撰組のふるさと」と呼ばれており、その武道:天然理心流の奉納額があると言われる八坂神社に行きましたが、公開されて無くがっかりしました。次は日野渡し場跡に行き往時の多摩川渡りの状況を想像してみました。今では多摩モノレール
車にとって代わられています。見通しが良いので「立日橋」上で、北西の方を見ると、期待していた「冨士山」の勇姿が望め大いに喜んだ次弟です。

 「立日橋北」の交差点で右折し、256号線に乗り府中を目指します。その後、国立市にある600年以上の歴史を持つと言われる古刹南養寺で休憩。ラストスパートに備えます。
 休憩したお陰で再び快調な足取りとなりました。元上谷保村常夜燈、谷保天満宮等を右目に捉え歩行します。

熊野神社が左に見えてきました。どうやら府中市に入ったようです。しばらくして、道路が二手に分岐しています。右側の 旧道を選択し進みます。弁慶坂、番場宿、高札場の遺構の前を通り、本日の目的地である「大国魂神社」に着きました。(武蔵国の総社で六社を合祀しており、特に格式の高い「東京五社」となっているようです。)
 何か秋祭りでもあるのか、人出が多く賑わっていました。又、神社の前には、天然記念物となっている「欅並木」があり、、素晴らしい緑が眼の疲れを癒してくれました。
ホテルで一服した後、 山車の音に誘われ町へ出掛け、お祭り気分で杯を重ねた次第です。

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2011年9月28日
十日目:府中宿から内藤新宿へ
 武蔵国に入って三日目、本日は、府中宿から24km先の内藤新宿を目指します。東京在住の同窓生E君が同行してくれるそうで心強いです。8時30分にホテルを出発、緑さわやかな欅並木を通り、旧道を目指します。旧道に出て、しばらくすると八幡宮がありました。(聖武天皇時代、各国ごとに一つの八幡宮を建てたと言われ武蔵ではこの八幡がそれに当たるそうです。
 続けて、染谷不動尊に出会いました。新田義貞の挙兵に馳せ参じたものがこの地に残し伝わる、国宝:阿弥陀如来像奉られて いるそうです)
 その後、調布市に入りますと、飛田給駅手前に薬師堂(行人塚)西調布駅前に近藤勇座像がある西光寺調布駅前に小島一里塚跡等の旧跡がありました。
 国領駅を前を進むと、旧道が20号線と交差し、そのまま重なり仙川駅前まで、自動車の騒音と煤煙に悩みながら歩行となりました。その後、仙川駅商店街で昼食となりました。
 昼食後、仙川三叉路から、せたがや百景に選ばれた道筋(旧道)を歩くことになり、しばらくは静かな歩行が出来ました。給田町で民家の玄関近くにある新一里塚を見つけました。足花公園駅前を過ぎた上高井戸一丁目信号から再び20号線と合流。さらには、上北沢駅付近で首都高5号新宿線と合流、それから以降、コンクリートジャングルの中を歩行することになり、遺跡等は全く目に入らなくなりました。代田橋駅付近で玉川上水の緑地と水を 見てホットいたしました。
 笹塚牛窪地蔵幡ケ谷駅を右目に見て耽々と歩行します。初台の跨線橋を渡ると左に新国立劇場があり、新宿パークタワー、都庁ビル等の高層ビル群が見え、やっと新宿に着いたのだとの実感が湧きました。
 冨士山が見たくなり、都庁ビルの展望台へ行きましたが、モヤがかかり見ることは出来ませんでした。東京スカイツリーはっきりと見えました。
 明日は、いよいよ最終日、距離はありませんので、ゆっくり歩きながらの東京見物となりそうです。



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2011年9月29日
十一日目:新宿から日本橋へ
 いよいよ最終日となりました。本日は、東京在住の同窓生数人の方が 一緒に歩いてくれると言う事で、地図いらずの「お上りさんスタイル」東京見物をさせてもらう積りです。
 東京は出張、所要等で何度も来ておりますが、羽田から目的地までの間をモノレール、電車で点の移動を行ったにすぎません。しかしながら、品川及び川崎方面は「東海道歩行」、巣鴨、板櫃方面は「中山道歩行」で地理を面として捉えましたので、土地名、交通機関を言われても、かなりのことは理解できるようになっています。甲州街道筋は初めてなのでワクワクしていました。
 新宿のワシントンホテル新館前に9時に集合、お互いに再会を確かめ合い早速出発。未だ、通勤の雑踏が残る20号線沿いの「西新宿2丁目」「西新宿1丁目」「新宿4丁目」の交差点を進みます。「新宿高校」を右手にみて
通過しますと、緑豊かな「新宿御苑」でした。新宿門から入り、管理門まで緑の中の遊歩道を歩行しました。その後、新宿通りを歩行いたしますが、歩道も広く、昨日の「高井戸方面」とは全く異なる良い環境で歩き安い。
 四谷4丁目交差点の所に、昔の関所である「四谷大木戸跡」と「玉川上水番所跡」があった。昔、この水番所辺りから、江戸中に水を供給したという場所だそうです。
 続いて、あかめのう観音像が安置されている「笹寺」を見学、その後、「消防博物館」を見学、昔から現代に至る「火消しの装備品」の変遷を勉強させてもらいました。
 その後、甲州街道筋から離れ、四谷怪談で有名な「於岩稲荷」、四谷総鎮守「須賀神社」戒行寺再念寺、等寺町廻りをいたしました。西念寺には服部半蔵の槍、お墓がありました。戒行寺坂、観音坂と呼ばれるしっとりと静かな場所が 東京のど真ん中に在る事に驚きました。
 再び、四谷見附へ戻り、上智大学前の緑地で弁当を広げました。
 昼食休憩後、新宿通りの麹町4丁目を通り、直進すると「半蔵門」に突き当たりました。右折し、国立劇場で小休止、 三宅坂横の「水準原点」で再度、小休止。皇居方面の濠と緑を眺めます。ビル群とのコントラストが良くマッチされた素晴らしい景観でした。
 桜田門から皇居外苑へ入り、「外桜田門」を見学の後、「二重橋」を左に見て、大手門から入り、旧江戸城見学をさせてもらいました。「同心番所」「千人番所」「松の大廊下跡」「天守閣の石垣」等を見て、初めて見る遺構なので感激いたしました。その後、日本橋へ。とうとう到着しました。約1年半ぶりの再会ですが姿は全く変化なくホットいたしました。万歩計を見ると、34,000歩で約20km歩行したようです。(見物路も含め約2倍の歩行数でした)
 夕餉には銀座で、東京在住の有志の皆様方から歓迎会を受け、「甲州街道踏破」の祝福を受けました。
皆様方、昼間共々、お世話になり誠に有難うございました。


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終わりに

 
予期しない台風のアクシデントを受けましたが、11日間にわたる「甲州街道」の旅を無事に終える事が出来ました。この旅を支援して頂きました同窓生の皆様方、ならびに情報提供と台風通過後、犬目峠を前もって試し歩きをして頂いた(街道歩きサイトの)OHAC様に厚く御礼を申し上げます。
次回は急な所要で、今回参加出来なかった街道歩き仲間のN氏共々「日光街道」を歩く予定です。今後とも、宜しくお願いいたします。



                                                            
平成23年10月吉日 Mr.Walk
                                                                                                                                                      
  
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