街道紀行&アルバムのページ


1.中山道紀行

1.初めに

 昨年の東海道歩行に加え、今年は涼しい5月連休明けの5月7日から、5月28日までの2

2日間で日本橋から草津までの67次累計約508kmを歩行する粗計画書を1月末に作成し、

 参加者の応募を募りました。結局、昨年の東海道組3人で実施することとなりました。

 計画書作成で一番苦労したのが

  @いざと言う場合、公共交通機関が確保できるか? 

  A宿泊所が確保できるか?洗濯設備が確保できるか?

  B昼食と飲料が確保できるか?(コンビニがあるかどうか?)

6日目から14日目位が旅館確保も困難でしたが、一応、連続で宿泊所も確保出来ました。

信州、木曽路は山中の歩行なので、1200mから1600mの峠のアップ・ダウンの連続であり

公共交通機関等はありません。

 又、熊出現情報もありその対策も考慮すると、大変な荷物量となりました。

 したがって、東海道では、情報交換のツールとして所持していた、モバイルPC

 を諦め、携帯電話使用によりPCの替わりとし、荷物の軽量化を図りました。

 2.実行経路

  歩行ルートは、日本橋を起点に、皇女和宮様がお輿入れの時に通られた路を逆コース

 で通る路を選択いたしました。 

   武蔵路⇒上州路⇒信濃路⇒木曽路⇒美濃路⇒近江路⇒草津 

 その間、碓氷峠(1188m)、笠取峠(900m)、和田峠(1600m)、塩尻峠(1052m) 

 鳥居峠(1060m)、馬籠峠(800m)、琵琶峠(550m)、摺針峠(180m)と言った 

 歩行と言うよりも、登山に近い歩きを選択したようです。


起点(日本橋)



中間点(木曽:藪原宿)




終点(草津宿)



 


2010年5月7日
1日目:日本橋から浦和宿まで24.2km

  日本橋 ー 神田ー本郷ー巣鴨ー板橋ー志 村ー戸田橋ー蕨ー浦和

 まで「東京ウォーキング」を楽しみました。まだ、巣鴨、板橋等、古い街が残っています。
 
 東京の皆様方、歩いて自分の街を見たら如何ですか?「志村一里塚」が気に入りました。


  あっと言う間に、「戸田橋」を渡り埼玉県に入る事となりました。一日目としては  上々でした。



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2010年5月8日
2日目:浦和宿より鴻巣宿まで23.8km

 浦和ーさいたま新都心ー大宮ー上尾ー桶川ー鴻巣

  (新しい街作りの)さいたま新都心の発展を見つつ、「武蔵国一の宮」であり、かつ約 2kmの参道を持つ

 「氷川神社」に参拝いたしました。美しい[欅並木]持つ街を気持ちよくを歩行させていただきました。

   浦和レッズ頑張れ
!!



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2010年5月9日
3日目:鴻巣宿より熊谷宿まで16.4km

  鴻巣ー熊谷(休養日)

  雛人形の町・鴻巣宿を立ち、熊谷へ向かう。地名の由来は「熊谷次郎直実の父直定」が

  付近を荒らしまわる熊を退治した事によると言う。「白井権八の延命堂」なるものを見て、

  広大な荒川の土手を歩く。遠方に榛名・赤城山の姿が映る。

   そろそろ、上州を感じるところまで来たようです。

 

3・4日目
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2010年5月10日

4日目:熊谷宿より本城宿まで21.3km

 熊谷ー本城

 熊谷を出て約1時間、「新島の一里塚」と出会う。昔も今も変わらない。同じよう休憩 

 を取っていたようだ。

  それから、深谷宿に入る。秀吉の小田原平定により、近江、越後から多数の商人が移住し

  てきて商業都市として、発展した。

  街角には「渋沢栄一」の出身地という、モニュメントが数多くあった。


2010年5月11日

5日目:本庄宿より高崎宿まで19.7km

本庄ー倉賀野ー高崎

 本庄を出て、約6kmの所で、「神流川」に至る。上州と武州の国境である。幕府は、

 江戸防衛のために、橋を架けさせなかったようです。このあたりは、まさに戦略的な

 重要地で、「滝川一益」と「北条氏」が戦った古戦場の碑もありました。

  近代紡績発祥の地の一つである「新町宿」を通り、高崎へと向かう。


5・6日目
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2010年5月12日

6日目:高崎宿より坂本宿まで29.6km

高崎ー安中ー松井田ー坂本

 今日は、素晴らしい快晴,早速、赤城、榛名山の姿をとらえる。過去、伊香保温泉、

 前橋、高崎に来たこともあり、この地は今日で4回目である。

  碓氷川の土手で、前方にかすかに浅間山が見える。明日から、数日間、御世話になる

 事が解っていても、何度もシャッターを切る。

  「新島 譲」の出身地である「安中宿」を通過すると、奇妙なギザギザな「妙義山」が

 迫って来た。

  明日の「碓氷峠」越え(1200m)のためか、3人ともアルコールが控えめであった。



2010年5月13日

7日目:坂本宿より追分宿(軽井沢)まで20.4km

坂本ー軽井沢ー追分

 第一の関門(中山道制覇のための)碓氷峠越えの日である。まず、昼飯、飲料水をどう調達

するか?が重要課題であった。情報は正確で、峠の昇り口手前にコンビニを発見、安堵した。

 かなり勾配がきつい。「覗き」と言う場所があり、すばらしい絶景を見る事が出来た。

頂上の「熊野神社」を目指す。

 厳しい、坂道を登り終えると、新緑のフラットな道が出現、左側に「妙義山」を捉えつつ

進む。もう一つ難関が待ち受ける。山中坂である。(飯食い坂とも言われたようだ)

 この、厄介な坂を登ること、約30分後に急に明るくなり、熊野神社(碓氷峠)に到着。

 「見晴台」からの眺望は素晴らしく、左側:青々とした山並みの群馬県、右斜め前に

突如、雪を冠った大きな浅間山が出現、度肝を抜いた。それから、道に迷い、約1時間

ロスし、旧軽井沢銀座(軽井沢宿)に到着。信州入りを果たす。

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2010年5月14日
8日目:追分宿より望月宿まで21.2km
追分ー小田井ー塩名田ー八幡ー望月

 標高1003m、摂氏四度の条件下で追分宿を見学、中山道と北国街道の分岐点で昔は

軽井沢以上の繁栄ぶりであったらしい。

  御代田の一里塚を見て、小田井宿に入る。皇女和宮様のご宿泊所にとなるだけの

しっとりとした街風情に見えた。

 右手に浅間山を見て、岩田村宿に入る。西側に千曲川が流れているらしい。

塩名田宿、八幡宿を経由し、望月宿の映画ロケで有名な「井出野屋旅館」に入る。

  今日も、「浅間山」が視線から離れなかった。それだけ浅間山が作った、平地なのだろうか?

   
     8日目-1         8日目-2

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2010年5月15日
9日目:望月宿より長久保宿まで10.5km
望月ー茂田井ー芦田ー長久保

 今日も快晴、ついている。本日は明日に備え休養日。望月を出発し、造り酒屋が

多い茂田井宿を通り、芦田宿、「笠取峠(900m)」を越え、早々に長久保宿へ

到着。洗濯も早々に済ませ、明日の最難関「和田峠越ヘ」に備える計画でした。

 が、茂田井宿に入る手前、前方に白い山々を発見し、小高い丘へ移動し観察

しますと、「日本アルプス」でした。穂高の峰々、槍、その右側は立山らしく

見えました。これが見れるのは土地の人々しかないと思うと、やたら興奮して

シャッターお押し続けました。

 造り酒屋の多い、茂田井、芦田を通過し、「笠取峠」を越え、下りに入りますと

緑色の素晴らしい高原と山が見えます。信濃富士と呼ばれる「蓼科山」でした。

 これを眺めつつ、下りた宿場が長久保宿でした。なんと、3人が今回の道中で寝酒

として愛用した、お酒「白菊」のご当地でした。(本日解りました)

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2010年5月16日
10日目:長久保宿より下諏訪宿まで29.5km
長久保ー和田ー下諏訪

本日は、最大の難関「和田峠(1600m)」を越え、「御柱祭り」で有名な下諏訪の

「木落とし坂」を見学し、諏訪大社「春宮」で参拝し、翌日の「塩尻峠(1052m)」

越えに挑戦するために、温泉でゆっくりと汗を流す計画でした。

 以外と和田峠はすんなりと通過出来ました。(碓氷、笠取)峠越えで、体が慣れたのか

三人共、スムーズに登れたと思います。やはり、そこからの眺望は素晴らしく3000mクラス

「御嶽山」が眼の上方で確認出来ました。

 それからガレ場の連続で断崖絶壁みたいな下り坂を無事に降り切り、何とか「木落とし坂」

に到着出来ました。そこで、御二人のご冥福に黙祷を捧げ、諏訪大社「春宮」へと足を運び、

明日からの旅の安全を祈願した次第です。

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2010年5月17日

11日目:下諏訪宿より奈良井宿37.2km

下諏訪ー塩尻ー洗馬ー贄川ー奈良井

 昨日の「春宮」と同様、諏訪大社「秋宮」で旅の安全祈願後、岡谷の街を通過、「塩尻峠」

へ向かいました。途中、その前の休憩地点でサイド・バッグを置き忘れた事に気がつき、

 健康保険証を入れていたため、慌てました。丁度、車が通りかかりましたので、車主に

 話をしたところ、親切な方で往復で乗車させていただき、無事に回収出来ました。この間

 相棒二人の前からドロンしたため、多大な迷惑をかけてしまったようです。

  さて話を戻し、1052mの頂上から、ほぼ360度に近い大パノラマを見ることが出来ました。

 「諏訪湖」「八ヶ岳」「穂高等の北アルプスの峰々」「御嶽山」等です。冬場は右手に

 「富士山」が見えるそうです。(本日はややガスがかっていたようです)

  「塩尻宿」までの間は、八重桜等の花々が咲き誇り、眼を楽しまさせてくれました。

   木曽路の玄関「贄川宿」からは、漆器の街の連続で、「平沢」では街全体が漆器の店

  ではないかと思われました。日が山間に隠れる頃に、昔は、「奈良井千軒」と謳われ

  繁栄したという「奈良井宿」に到着。洗濯を優先し、見学は翌日にまわしました。

   なお、昼間のドロンの見返りに寝酒「白菊」を二人にプレゼントいたしました。

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2010年5月18日

12日目:奈良井宿より福島宿まで19.8km

奈良井ー薮原ー宮ノ越ー福島

 今日も快晴、難関の鳥居峠は軽く越えられそうな気がする。又、峠か?という声も

 聞かれたが、石畳みの登山口は短く、坦坦とした緑の森の中を歩く感じで気持ちが良い。

 林の間からは東側に時折「甲斐駒ケ岳」の姿が見えた。「中の茶屋」に到着。碓氷峠の「覗き」 

みたいな所があり、眼下の「薮原宿」が眩しく眺望された。それから、間もなく「峠」に 

到着。東側に真っ白な雪を冠った美しい「甲斐駒ケ岳」が展望された。

  「熊除の鐘」を大きく鳴らし、再び森に入り「薮原宿」を目指す。約1時間程で到着。 

蕎麦屋さんで休憩をとり、義仲の挙兵地の「宮ノ越」を目指す。

 青々とした、「木曽路」に入った感じである。右手に木曽川を見つつ、山あいをしばらく

 歩行すると「宮ノ越」と言う標識があった。巴淵(巴御前と関係があるのだろう)で再び

 小休止をとりその後、前進すると、「義仲館」に出会う。二人の銅像を写真に収め、左側

 を見ると、これも雪を冠った「木曽駒ケ岳」が美しい姿を見せている。山好きな私にとっては

 最高の機会を与えてもらった気がする。自然とは良いものだ。

  「木曽駒ケ岳」を左手に見て南下する。日暮れ前に、「福島関所跡」を通過、時間が無いので

見学は諦め、「福島宿」の旅籠に到着した。本日も天気に恵まれ幸せだった。

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2010年5月19日
13日目:福島宿より須原宿まで22.2km

福島ー上松ー須原

   本日は小雨の中、福島宿を出発して、木曽川を眺めつつ歩行いたします。約1時間の後

 名所:「木曽の棧」に到着。その後6km歩行後、これも名所の「寝覚の床」に着きました。

  浦島太郎が”玉手箱”を開けたという「浦島伝説」を持つ、木曽路随一の名所であるそうです。

 木曽川の激流が白亜紀の花崗岩を浸食して作り上げた屏風岩などの奇観は、国の史跡

名勝天然記念物に指定されています。その後、名所:「小野の滝」を見学、須原宿に到着

いたしました。


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2010年5月20日

14日目:須原宿より妻籠宿22.9km

須原ー野尻ー三留野ー妻籠 

本日も雨、須原駅前から歩行開始、しっとりとした宿を見学し、木曽川に沿って南下して

 いきます。野尻宿を通過する頃、止んだようです。ガスった木曽の山々、その中に、陽がさし

 た山々も時折、顔をのぞかせます。素晴らしい光景です。

  大分、南下して来たせいか、木曽川の幅も広くなり、川の石も丸みを帯びてきたようです。

 三留野宿に着いた頃には、雨も完全に止み、美しい「桃介橋」を眺めながら、昼食をとりました。

 それから、和合、神戸部落等の坂道に入り、約1時間程で妻籠宿にの入口に到着しました。

妻籠は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」第1号の指定を受けただけに、江戸時代の宿駅の

姿を往事のままに残す活動が、町全体でなされています。夜は蛍光灯等の光は全く無く、

旅籠の明かりだけで、他に光はなく、幻想的な空間でした

 このままの姿で永遠に残してもらいたいとの思いが、現在でも続いています。 

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2010年5月21日
15日目:妻籠宿より大井宿26.1km

妻籠ー馬籠ー落合ー中津川ー大井

日は快晴、一気に美濃路へ行けそうだ。昨日は曇天で「妻籠」の写真が上手に撮れていな 

く、今朝に賭けていた。朝日に輝く妻籠は美しい。その姿を後にして、「馬籠宿」を目指す。

  いきなり坂道の連続となる。大妻籠の部落を抜け、しばらくすると、「男滝・女滝」に 

出会う。(吉川/著:宮本武蔵の一場面にあるらしい)更に坂を上ると、「峠の立場茶屋」が

 あった。お茶をお世話になり、かつ正調:木曽節を聞く事になりました。素晴らしい歌と声で 

ありました。

 その後、30分程で「馬籠峠(800m)に到着。下り坂を行くと水車小屋が現れ、左側が大きく 

開け、恵那山がそびえています。「馬籠宿」の入口です。 

 到着した途端、3人でビールの乾杯、「そば」と「五平餅」で昼食となりました。 

その後、坂を下りながらの観光です。過去4回の火災があったとの事で、妻籠宿程の古さは 

感じられません。観光客は休憩所辺りであふれていたようです。ここの下り坂を降り切った 

所で、美しい「木曽路」とはおさらばです。何か寂しいものを感じました。 

 熊の脅威を受ける必要もなくなり、やっとベア・ベルを外し、ゆったりとした下り坂を 

しばらく歩行する事になります.馬籠宿よりの一里塚を通過後、十曲峠の石畳に出会いました。 

 下り坂でしたから、難なく通過し、「落合宿(中津川市)」に到着。落合宿の外れに、木曽

 義仲の下で活躍した武将「落合五郎兼行」の城址がありましたが、見学はせず「大井宿(恵那 

市)」へ直行いたしました。本日は快晴で妻籠から大井まで存分に楽しみました。

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2010年5月22日
16日目:大井宿より細久手宿19.6km
大井ー大湫ー細久手

  まず、五つの町が桝形を作り、防御体制をしいている宿で有名な、「大井宿」を見学。

また、この宿は、美濃路随一の宿場として栄えたらしい。

  十三峠(西行坂、槇坂、いわい坂、平六坂、べに坂・・・等)に沿い、細久手宿を

 目指す。西行坂の上には、「西行塚」という西行の歌碑と芭蕉の句碑が並んで立って

 いました。尾根道の街道をアップ&ダウンしながらピクニック気分で、街道歩きを楽しみ

 ました。西行の森の」小鳥のさえずりも素晴らしかったです。

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2010年5月23日
17日目:細久手宿より大田宿23.6km
細久手ー御嶽ー伏見ー大田

 本日はすごい雨の日となりました。御嶽宿、大田宿を傘をさしての歩行・見学です。

 御嶽宿は、徳川家康も重視した門前町だったらしいです。とにかく雨が凄いので、

  宿場の商家:竹屋の観光に焦点を絞り、江戸時代の商家の暮らしぶりをじっくり 

 と、観察いたしました。

   その後、又、雨の中、大田宿(美濃加茂市)へ行き、日本のライン下りの場所 

 (渡し跡、船着き場)等を見学し、ずぶ濡れとなり、ホテルへ直行いたしました。

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2010年5月24日
18日目:大田宿より加納宿24.7k
大田ー鵜沼ー加納

 前夜の祈りもむなしく、本日も雨、加納宿(岐阜市内)は明日の朝の見学に回し、

 岐阜城(稲葉山城)の見学に回りました。麓の「岐阜公園」から頂上のお城を見張り

 ますが、ガスがひどくなかなか目視できません。束の間のチャンスが到来しました。

 この短いチャンスで幸運にも2枚のズーム写真をゲット出来ました。

 これで満足し、公園内にある、「(天下布武を発した)信長居館」を見学、金華山RWで

 お城の近くまで運んでもらい、残り、雨の中の登山となりました。とにかく狭い、天下の

 自然の要塞と言っても過言でないでしょう。良く攻め落としたものです。秀吉、竹中半兵衛

 の実力なのでしょう。狭い所に天守閣があります。写真も撮りずらい場所です。

  続いて、岐阜の町と長良川を見ようと、展望台に登って一望しますが、ガスがひどく

 見えません。粘っていると、これも束の間のチャンスが到来、何枚かの写真をゲット出来まし

 た。これで、満足してホテルヘ戻った次第です。

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2010年5月25日

19日目:加納宿より赤坂宿19.3km

 加納ー河渡ー美江寺ー赤坂

 徳川家康は「関ヶ原」の戦いの後、岐阜城を壊し、加納城を再建、娘婿の奥平信昌を城主

 として、西国大名への守りとした。こうして岐阜町に代わって美濃国の中心となった加納宿

 も整備され、中山道屈指の宿場町として発展をとげた。加納を出ると、街道は長良川の

 「河渡の渡し」、揖斐川の「呂久の渡し」を経て、濃尾平野の北西部に位置する「赤坂宿

(大垣市)」に入る。

  赤坂宿入り口の手前を杭瀬川が南北に横切る。豊富な水量を有し、港には、最盛期には

 300隻もの船が行き来し、物流拠点となっていたらしい。

  明日は関ヶ原、その前夜を大垣のホテルですごした。


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2010年5月26日
20日目:赤坂宿より醒井宿24.4km
 赤坂ー垂井ー関ヶ原ー今須ー柏原ー醒井

(その1)関ヶ原考ー私見を中心に

 今回の旅で最も関心があった場所である。西軍(三成)が何故敗退したのか?素人ながら

現場を見て、過去の書物で得た知識と符合させたかった。

  笹尾山(三成本陣)から見た、地理的条件、陣構えから見れば、圧倒的に西軍が有利 

と見えた。三成の笹尾山の正面の松尾山には、小早川秀秋が陣を敷き、両者の間には、

 島、蒲生、島津、小西、宇喜多、大谷の諸将が陣取り、謂わば「鶴翼の陣」である。この陣形

 の中に、東軍は攻め登るしかない。(陣取りは西軍が早く抑えた)殲滅される怖れがあった 

と思われる。しかし松尾山が裏切った場合、この陣形は浮き立ち、西軍はひとたまりもない。

 これが結果であった。裏切りが無ければ、世界史が変わっていたのではないか?と思われた。

 話しは違いますが、関ヶ原の直ぐ側(近江側)に、壬申の乱の翌年に天下の異変に備えるため、

天武天皇が「不破の関所」を設立、このあたりが過去にも東西の紛争の接点地域でこれを見張るため

関所であったようです。

 もう一点、「常盤御前のお墓」がありました。こんな所に何故?と言う疑問が生じましたが、

(牛若丸が鞍馬山を抜けだし、東国へ走ったという話しを聞き、乳母と共に、ここまで追っかけて

 来たが、山賊に殺されてしまった。土地の人が、あわれと思ってここにお墓を作ったという

 事のようです)

(その2)今須宿ー柏原ー醒井宿

 今須峠を越え、一里塚を通過すると「車返しの坂」に出ます。ここが美濃国と近江国の

国境であり、ここから「近江路」となります。信長、秀吉がしばしば宿泊休憩に利用した

 と言われる「柏原宿」を通り、1時間程で「醒井宿」に着きます。

 「醒井宿」は、鈴鹿山系からの湧水があり、それは硬度が高い良質な水とされています。

 確かに、地蔵川の清流がそれを物語っているようです。水の郷といった感じが残りました。

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2010年5月27日

21日目:醒井宿より愛知川宿21.7km

醒井ー番場ー鳥居本ー高宮ー愛知川

今日は天下の名城と言われる「国宝:彦根城」の外周を見学し、出発点の醒井宿へ向います。

この清水の郷から番場宿を経て南西へ向かい坂道を登って「摺針峠(180m)」に至りました。

 峠よりの眺望は極めて良く、コバルト・ブルーの琵琶湖が見えました。惜しむらくは、電線 

が邪魔でした。

 峠を下ると鳥居本宿です。鳥居本宿は北国街道との分岐点で井伊家30万石の宿場として 

発展した町です。赤玉神教丸本舗が有名です。

  鳥居本から一里半で「高宮宿」に入ります。高宮は「お多賀さん」と呼ばれた多賀神社の 

門前町で大鳥居が立ち3kmにわたる参道が伸びているとのことでした。 

 愛知川は、愛知川商人の地、近江上布等の伝統工芸品が息づく町であるらしい。

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2010年5月28日
22日目:愛知川宿より草津宿29.4km
愛知川ー武佐ー守山ー草津

 今日は最終日、草津の手前3km位の「粟東」で、関西在住の同窓生3人が応援ウォーキング

 で参加する予定、又、夜には「懇親会」を開いてくれるという事で、

 足取りも軽く、愛知川をスタート、愛知川宿から五個荘を経て武佐宿に至る街道筋一帯は、
 
江戸時代から全国で名を知られた「近江商人」の発祥地であるらしい。

 中山道と並行して湖畔側に「朝鮮人街道:下街道」があり、彦根と近江八幡を結ぶ大動脈で 

かつ、朝鮮通信使が江戸に下る時に使用したという。この路筋に「安土城址」が残っている

 らしく、次の機会(北国街道行き)には、この路を歩行しようと思っている。

 武佐宿を通過し街道を行くと、左手に近江富士を望む。神の山と崇められてきた「三上山」

である。野洲川を渡り、守山宿の「街道交流館」で小休止し、草津へ再出発。予定通り、

応援ウォーキング組と合流。互いに胸を張って歩行、約30分後、無事「草津宿」に到着。 

 草津宿の「街道交流館」で「中山道完歩免状」を頂き、さらには、関西地区の仲間に

 懇親会を開いて頂き、お互いに祝杯をあげた次第です。

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4.終わりに

 22日間に及ぶ(足かけ24日)長い旅もこれで終わりと思った途端。疲れを感じました。

帰途の車中ビールを飲みながら、次回は「北国街道」でもと夢うつつ寝込んでしまいました。 

(・・・・・・・・謙信が上洛を目指した路を・・・・春日山城跡から・・・・・・・・)

  東京・関西の皆様方、並びにこの旅を支援して頂いた方々に、厚く御礼申し上げます。


                                  Mr.Walk





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