4日目 大田原宿から氏家宿

 昨日に引続き天気は良さそうです。8時30分にホテルを出発、約26km先の氏家宿を目指します。のどかな田園風景を見つつ、48号線を南下します。
30分程経過し、「町初碑」に出会いました。
(八木沢が1627年の奥州道中の開通により開かれた町であることを示す記念碑らしい)、その後、直ぐに「蒲蘆碑
(ほろのひ)」がありました。
(この地を支配した代官・山口五郎高品の善政を讃える石碑だそうです)その後、立派な屋敷群が連なる「親園地区」を通過し、旅のオアシスであるコンビニに到着、小休止をとりました。

 小休止の後、先の震災により破壊された屋敷塀が目立つ滝沢地区を通り、佐久山宿を目指します。約20分後、「馬頭観音」を右目に見て、「箒川」を渡ると「佐久山宿」 に到着です。(この地は那須氏発祥の地であり、与一の兄康孝が佐久山城を築き、家臣団を城下に配置したのが佐久山の始まりであるそうです。)

 佐久山前坂信号」から右折し48号線に移り、喜連川を目指します。耽々と変化が少ない48号線を歩行します。「農産物直売所」を通過し、次の交差点で114号線に乗り移ります。「佐久山前坂信号」から30分経過後、「さくら市」に入りました。旧道ですので、車も少なく安心して歩けます。途中、「ほほほえみ仏」
という可愛らしい石仏に出会い、心が和みました。その後、その後左手に
「道祖神「明治天皇休憩碑」が現れ、ここで昼食休憩を取ることにしました。
 
 休憩後、12時に再出発
「源氏ボタルの里」「双体道祖神」を右手に見て、「下河戸信号」から右折し、25号線に乗り移ります。のんびりとした田園風景の「南和田地区」を通過すると喜連川宿に入りました。ここで、オアシスのコンビニがありましたので、小休止です。この時飲んだビールの味は五臓六腑に浸みわたる程、素晴らしいものでした。

 足利家歴代の墓所
「龍光寺」を左手に見て、8km先の氏家宿を目指します。足利家の島子がこの地を領していた塩谷氏の妻になったことに始まるらしく。豊臣秀吉が奥州仕置の際、塩谷氏は出奔、弁明に向かった島子を秀吉が側室にし、喜連川3800石を化粧料として与えた。島子はその後、古河公方(足利家直系)との婚姻関係を結ばせ、家康より10万石の格式を与えられたという)
 
「連城橋」荒川を渡り、早乙女地区に入る。右手には、このたびの震災で崩落した「お丸山公園」側面の修復工事、左手には昔ながらの「田植え」を見て、喜連川宿を出ます。
 松山地区の
「道祖神の像」「ニッカウイスキー工場」を見つつ弥五郎坂を下ります。蓮城橋通過1時間後、民家の中にある「一里塚」に出会いました。
(日本橋から32番目の一里塚であるそうです)
その後、「豪商:瀧澤家」の前を通り、16時に氏家宿のホテルに着きました。

 


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