9日目 小山宿から古河宿

 

  <本日の概要>

朝から非情な雨の中、古河宿を目指します。
小山市役所のそばに関ヶ原戦いの運命を決定させたと思われる
小山評定の地がありました。上杉景勝討伐に向かった徳川家康が石田三成の挙兵を知り、軍議を開き福島正則ら秀吉恩顧の武将を味方にした場所がここだったそうです。昨日よりも遺構は多く見られたようです。雨の中不自由しながら沢山の街道歩き証拠写真を撮りました。本日の歩行数は、29000歩、約20kmを歩いたようです。明日は埼玉県幸手宿を目指します。

  昨日京都の晴れ女御二方が去り、曇りの天気の中、8時にホテル出発、先ずは「小山評定の地」を目指します。関ヶ原の戦いを有利に進めた証拠の場所であると、再認識いたしました。見物中、非情にも雨が落ちてきました。側の「小山市役所内」で雨支度を整えます。
  
小山市役所を8時20分に再スタート、神社・仏閣の多い4号線沿いの宮本町を通過し、旧道と交差する粟宮信号を目指し、9時20分に着きました。 

   ●妙建寺(日蓮宗) :1334年開基、場内にある燈籠、手水石は小山の遊女達が奉納したものらしい。
 
  ●須賀神社     :藤原秀郷が日夜、素戔鳴命(
すさのおのみこと)に戦勝を祈願し、将門の首級をとることができた。 とのいわれがある。
   ●持宝寺(真言宗) :
772年、弓削道京鏡の開基、8代将軍吉宗が日光社参の時に、休息した場所

  旧道の265線に乗り移り南下します。右手に安房神社浅間神社を見て千駄塚信号に9時50分に着きました。ここの辺りに江戸より19里に当たる一里 塚があるはずですが、見つける事は出来ませんでした。

   ●安房神社      :須賀神社と同様、藤原秀郷が平将門討伐のため戦勝祈願をした場所であるらしい。
   ●浅間神社      :入口から100m程入った所に2段式円墓の千駄塚古墳がある(写真参照:こんもりとした森)

  国の選択無形文化財「蛇まつり」で広く知られる「間々田八幡宮」に10時30頃に着きました。その創建は天平年間であり藤原秀郷、源頼朝が戦勝祈願を したと伝えられ、江戸時代には日光例幣使が例年参拝したとの記録が残されているようです。
 
 
  その10分後、間々田本陣跡の前を通り、右手に「龍昌寺」を見て、「逢いの榎」の前に着きました。この場所が、江戸-日光間の中間場所にある榎であっ  たので「間の榎」と呼ばれ、それがいつしか「逢いの榎」に代わって、縁結びの榎にな り祖師堂が建てられ、お参りする男女が多くなったと記されています。
 

   龍昌寺        :徳川家光の遺骸を日光廟に葬送した時、遺骸の安置場所が当寺に設けられた。

  間々田駅がある乙女地区を通り、野木町:友沼に入りました。「村社八幡宮」「佛光寺」を通過した所で、11時になっており、古河まで8kmの標識が眼につ きました。相変わらず、雨がしとしと降っています。10分程経った所、右手に塚があり標識は無いですが、「乙女の一里塚」と思われました。
 
  歴代将軍達が、日光参詣する時のお休み所として利用した「友沼八幡神社」の前を通り、「法音寺」「供養塔」を右手に見て、野木駅前に11時35分
 に到着。近くの「そば屋」で昼食、休憩をとることにしました。

  
  そのお店で14-5人のご婦人を主体とする団体客と出会いました。同じテクテク歩き組で我々とは反対の古河宿から小山宿を目指しているとの事でした。  又、泊まり無しで「つなぎ歩き」で街道歩きを楽しんでいるとの事でした。

 1時間程の休憩の後、再出発です。昨日の件がありますので、リュックを始めとする持ち物の確認はお互いにキチンと行いました

  「供養塔」を右目に見て、昔の野木宿に入りました。東京まで65kmの標識が眼につきました。「満願寺」を過ぎて直ぐの所に「野木信号」がありました。  ここから右折した所に「野木神社」がありました。ここから、「よこまち柳通り」を通って古河宿に到着です。
    
    ●野木神社征夷大将軍坂上田村麻呂が802年ここに詣でて、戦勝を祈願。無事蝦夷の反乱を抑えられたのは、「神の助け」として、そのお礼に社殿  を新築したという由来があるそうです。             

 (失敗談)

  14時に「ホテルルートイン古河駅前」に到着。チェックインの手続きをするも、予約が入って無いという答えが帰って来ました。
 2度も予約の確認を行ったのにと言った所、相手の局番と聞かれ0299と答えると、それは宮城の古川ですよと言われビックリ仰天しました。それまで「古河」 をコガで無くフルカワと読んでいましたので、「ホテルルートイン古川駅前」に予約を入れていたようです。それから、宮城への予約取り消し、別のホテルへの 予約手続き等で、それは大変でした。
  幸いに近くのホテルの予約が取れ、昨日に引き続き結果オーライで、事無きを得ました。

 (旅計画の参謀役を全て引き受けていました。この失敗を戦争時に置き換えてみますと、兵站の有る場所に誘導すると言いつつ、実際に兵站は無く、部隊全滅という結果には?と思うとゾットする間違いでした。同僚、両ルートインホテルの皆様方にご迷惑をおかけし申し訳ない次弟でした。)
 
 
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