奥州・日光街道紀行アルバム

  1.はじめに

   長崎県の某高校同窓生3人組の(徳川家康が整備した)五街道歩きも最終コーナーを回る時が来ました。

      ●2021年7月 東海道歩行(18日間で)達成

      ●2022年5月 中山道歩行(22日間で)達成

      ●2023年9月 甲州街道歩行(11日間で)達成

     がこれまでの五街道の踏破記録です。

      最後の奥州&日光街道は、福島:白河宿から江戸まで(約230km)を10日間歩行で計画し、達成する事が出来ました。

     この間の記録をアルバムを中心に振り返ってみたいと思います。


2012年5月14日
1日目:移動日&女石追分から新白河駅歩行3.1km
  出発日の5月14日が来ました。二日市に住むN君、岡山市に住むK君共々、山陽新幹線、東海道新幹線、東北新幹線と乗り継いで、新白河駅へ到着。

 ホテルへ荷物を預け、奥州街道の起点である白河宿:女石追分から 阿武隈川を渡り小峰城址を見学し薄暗い中、古さが残る白河宿の町並みをみつつ新白河駅前まで歩行しました。白河宿の写真撮影は暗いため断念せざるを得ませんでした。




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2012年5月15日
2日目:白河宿より芦野宿19.1km
 2日目キツイ雨の試練を受ける事となりました。約20kgの荷物を背負い、傘をさしての行軍?であります。電車・バス等公共交通機関が全くない土地である。一里塚等の史跡を見物しながら、19kmを完歩し、目的地の芦野温泉に到着。那須の御用邸と同じ泉質の柔らかい温泉につかり疲れを取りました。夕食でのビール・焼酎を酌み交わしながらの懇談は格別なものでした。






2012年5月16日
3日目:芦野宿より大田原宿21.4km
 昨日とはうってかわったようなすばらしい天気の中、35000歩、約21km完歩できました。奥州街道は古い歴史街道だという事を再認識いたしました。白河では戊辰戦争、本日の芦野宿から大田原間では、源氏にまつわる遺跡を二つ見ることが出来ました。八幡太郎義家の愛馬が蹄を巨石にきざみつけたされる葛籠石、那須与一の立像でした。東北で力をつけた源氏を垣間見た思いでした。





2012年5月17日
4日目:大田原宿から氏家宿25.8km
 危ぶまれた天候も、問題なく、那須与一の里大田原宿から佐久山宿・喜連川宿を経て氏家宿を目指し約26kmを歩く事ができました。緑豊かな田園風景と対象的な大震災の爪跡を見せられました。全行程おいて屋敷塀の崩落とその補修の姿をいたるところで見ました。遺跡は素朴な石像が多く見られました。明日は奥州街道の最終歩行日で宇都宮を目指します。




2012年5月18日
5日目:氏家宿から宇都宮宿17.9km
神は見捨てなかったようです。感謝します。歩き始めて、約1時間後青空が見えるようになり勇気100倍となり前進力が出ました。鬼怒川に架かる大橋を渡り、白澤宿へ入ります。
江戸時代にタイムスリップしたような宿場町風情が残っており、写真を撮りまくりました。本日の旅のハイライトでした。4時間で27000歩、約19kmを歩き無事に目的地の宇都宮へ到着しました。ほぼ同時に京都からの美女二人も到着、再会を確かめあいました。楽しい夕げを持つことが出来、ラストオーダーは宇都宮名物餃子で閉めました。明日は休養日、観光バスに乗り、日光観光に特化します。白澤宿模様、餃子の写真を添付します。



2012年5月19日
6日目:日光観光
本日は素晴らしい快晴を神様からプレゼントされ、観光バスに乗り楽しまさせていただきました。
神橋、華厳滝、ニ荒山神社、中禅寺、東照宮が訪問先でした。
昨日降雪があったらしく、男体山、日光白根山は冠雪しており、中善寺湖のブルーとマッチし、素晴らしい景観でした。水量豊かな華厳滝も雄々しいものでした。最後に東照宮を訪れました。杉林の緑にマッチした陽明門、唐門等の先人達が残してくれた建造物の永遠への存在を祈りました。





2012年5月20日
7日目:鉢石宿から宇都宮宿34.5km
本日も素晴らしい快晴、京都のお二人は晴れ女であったようです。
JR日光駅前を8時30分に出発、35000歩、25kmの歩行で、緑に輝く日光杉並木街道を駆け抜け?ました。マイナスイオンをいっぱいに吸った清々しいウォーキングとなりました。
何とH.H 様は15kmの歩行でした。本人にっては、新記録の達成だったようです。これで半分の行程をを消化しました。




2012年5月21日
8日目:宇都宮宿から小山宿28.6km
金環日食観察後、京都組とお別れし、宇都宮から29km先の小山宿を目指しました。旧道の上に、国道4号線を整備したせいか?戊辰戦争で破壊されたのか?歴史的遺構をほとんど見出だせませんでした。東京までの距離を表している標識を友として坦々と炎天下を歩行した次第です。東京までの残距離は80km以下になったようです。ラスト地点に近い小金井宿で見事に保存されている一里塚を見て安堵しました。




2012年5月22日
9日目:小山宿から古河宿16.1km
朝から非情な雨の中、古河宿を目指します。
小山市役所のそばに関ヶ原戦いの運命を決定させたと思われる小山評定の場がありました。上杉景勝討伐に向かった徳川家康が石田三成の挙兵を知り、軍議を開き福島正則ら秀吉恩顧の武将を味方にした場所がここだったそうです。昨日よりも遺構は多く見られたようです。雨の中不自由しながら沢山の街道歩き証拠写真を撮りました。本日の歩行数は、29000歩、約20kmを歩いたようです。明日は埼玉県幸手宿を目指します。





2012年5月23日
10日目:古河宿から幸手宿14.3km
本日から数日は快晴とのこと、やっと三人とも晴れ男と言えるようになったのでしょうか?
炎天下の歩行となりましたが、ほとんど旧道歩きとなりましたので遺構が破壊されず多く見られ歴史の再認識が出来、街道歩きの醍醐味を味合うこてが出来ました。本日のハイライトは利根川を渡り、東京まで約40kmに迫ったこと。利根川渡りを厳重に取り締まった栗橋関所跡の見物が出来たこと。義経の後を追って平泉へ向かう途中、義経の死を知り、この地の寺で菩提を弔い、その年、病で22歳の生涯を閉じた静御前のお墓にお詣りが出来たことです。歴史街道を充分に楽しみました。明日は越谷宿を目指します。




2012年5月24日
11日目:幸手宿から越谷宿24km
本日は幸手宿から越谷宿を目指します。旧道が4号線と重なり遺構が少なそうです。幸手宿の外れに神宮寺がありました。源頼朝が奥州征伐のさい、戦勝祈願をした場所だそうです。道標等はところどころで散見されました。本日の最大のトピックスは、越谷市でドラッグストアを経営されている同窓生の平城氏のお店を訪ずれることが出来たことです。同じ同窓生の奥様、立川市に居住されている高橋氏と1時間程懇談出来ました。その時紹介された約1kmの緑の参道を持ち、大国主命を祭神とする久伊豆神社は素晴らしいものでした。35000歩、24kmの旅でした。明日はいよいよ最終日です。良い天気でありますよう・・・




2012年5月25日
12日目:越谷宿から日本橋24.4km
越谷宿を8時に出発。お江戸日本橋に17時に到着。皆様方のおかげで、全行程を無事に終えることが出来ました。4年の歳月をかけて、徳川家康が整備した五街道を制覇出来ました。これからの人生の励みになります。
本日は東京組の皆様方に大変お世話になりました。北千住駅前から道先案内をしていただきましたE様、S様ありがとうございました。また、沢山の皆様方に集まっていただき、夕げを共にしていただいたこと深く感謝いたします。







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